以下、ネタバレ注意です。
2022年 日本 新海誠監督作品
なぜ草太は「足が1本欠けた」椅子になったのか?
自由になったダイジンは邪魔になった草太を椅子の姿に変えてしまう。椅子は生前の母がすずめのために作ったものだ。当初はきちんとしていたが、震災の津波に流されて足を1本失う。
椅子に変身させられたのは、人間性を剝奪されモノ化された状態を指す。さらにその足が欠けた様子というのは、それ自体では機能に不足のある欠陥品というわけだ。
現に3本足の椅子はアンバランスで、意識せず座ろうとすれば転倒しかねない。座る人(モノを使う人)が充分注意を払い、慮らなければならない。
椅子が走り回るとはなんと奇異なことか。怪しまれないようすずめに抱えられた椅子草太の姿は滑稽なほどに情けない。
この作品はすずめのロードムービーを描くが、その相棒はこの奇妙で頼りない椅子なのだ。
この点で従来のボーイミーツガール系、思春期の男女がともに困難に立ち向かい成長する物語とは一線を画する。なぜならすずめは草太というモノの所有者であり、保護者なのだから。
古典的ディズニー映画との類似と相違
椅子を引き抜き、草太を常世から現世に取り戻そうとするシーン。すずめが椅子にキスをすることで、氷漬けになっていた草太は生気を取り戻し、扉のこちら側に帰ってくることができた。
これは完全に「白雪姫」の性別転換バージョンだ。近年の#MeToo運動の中では、(そういった意識はないにせよ)「白雪姫」に描かれるような女性の同意を得ない、男性の一方的な性行為は厳しく指弾される。たとえば2016年のハリウッドSF映画「パッセンジャー」(クリス・プラット、ジェニファー・ローレンス出演)は、男性の身勝手なキスによって人生を破壊される女性の姿( ≒ レイプ)と、そのような欲望を抱く男性のきもち悪さを描いている。
また女性の愛情が奇跡を呼び、人外の存在から本来の男子の姿に戻るくだりは、同じくディズニーの「美女と野獣」に共通する。この映画では、魔法でキャンドルやポットに変身させられた従者たちが描かれる。
このように昨今の風潮を受けて、すずめは自立を目指そうとする強い女性として描写され、反対に閉じ師として力をふるうべき草太は庇護されるただのモノとして表現されている。