【徹底映画考察】ザ・ホエール【怪物と化した父親を解放する娘という関係性を解説】

映画考察

以下、ネタバレ注意です。

あらすじ

恋人アランを亡し、過食を繰り返したチャーリーは大学のオンライン文章講座の講師で生計を立てている。歩くこともままならず、アランの妹である看護師リズに頼っていた彼は、自分の余命がわずかだと悟る。彼は妻との離婚後、疎遠だった娘のエリーと関係を修復しようとするのだが・・・

2022年 アメリカ ダーレン・アロノフスキー監督作品

キャスト

  • チャーリー:ブレンダン・フレイザー
  • エリー:セイディー・シンク
  • リズ:ホン・チャウ
  • メアリー:サマンサ・モートン
  • トーマス:タイ・シンプキンス

なぜチャーリーは肥満体なのか?

タイトルのホエールは、チャーリー自身の超肥満体で立ち上がることもままならない姿、そして作中で何度も言及されるメルヴィルの「白鯨」のモビーディックにふたつにかかっている。

両者に共通するのは、その「モンスター」とも呼べるほどの特異な容貌だ。チャーリーはその自覚があり、トーマスに「私の姿はおぞましいか?」と尋ねる。また白鯨のモビーディックはエイハブ船長らと死闘を繰り広げ、ついには彼らを死に至らしめる。

チャーリーは同性の恋人アランの自死に衝撃を受け、以後とめどない過食に走る。劇中彼がものを食べるシーンは食事というよりもむしろ「補給」と表現した方がふさわしい。味わうことなく、なにかに駆られるようにただ食べ物を胃に流し込む。それは緩やかで消極的な自殺とも言えるが、自信を巨大なモンスターに変容させるための行為だ。

つまり、いまや彼は自ら進んで怪物になろうとしているのだ。

なぜそんなことをするのか?━━━━チャーリーはモンスターになることで人間界との関係を断ち切っているのだ。彼が住む家を思い出してほしい。部屋の中は薄暗く、本や物であふれかえっている。そのなかで垂れ下がった青白い肌をさらしながらのそのそと動く彼の姿は、さながら洞窟に住む異形のものを想像させる。現に彼は人目をはばかりほとんど隠れるように生きている。もう下りられないだろうアパート2階の家はまさに怪物の棲み処だ。

人でないものに変身する。これは自分が人間ではないと宣言し(いわば非人間宣言)、人間とは別種の世界の住人と自己規定する。スタジオジブリ制作の「紅の豚」を例に挙げよう。主人公ポルコ・ロッソは自分に呪いをかけ豚になった。これは戦争で受けたトラウマからの逃避であり、二度と従軍したくないという決意だ。殺し合いばかりする人間に嫌気がさし、彼は豚という非人間になることで人間界と決別した。

しかしながら怪物のもとにときおり迷い人がやってくる。まるで中世のおとぎ話のように、森で迷った人間がチャーリーを訪ねる。トーマスがそうだ。彼はエクソシストさながら、神の力によって怪物を浄め、解放しようとする(比喩的に言えば殺すということ)。

ピザ配達人のダンは迷い込んだ村人だ。世界各地の神話に普遍的にあるように、声の主の真の姿を見て恐れをなして逃げ出す。

最期の5日間、チャーリーのもとには毎日誰か訪ねてくるが、看護師のリズは特別な存在だ。彼女はいわば「フェアリー」のような存在で、チャーリーに近しい立ち位置だ。なぜならリズは白人の親に養子にされたアジア系という出自、また一家全員が熱心に信仰していた宗教を嫌悪し、家族と縁を切ったということから、一種のアウトサイダーなのだと想像できる。それゆえ社会から隔絶した者同士、チャーリーとリズは友達の関係になれた。

「父殺し」によって救済される父親

では娘のエリーとは何者だろうか?━━━━彼女は「純真性」の象徴だ。彼女は一見、他人への思いやりが欠け、気分屋で自己中心的で人の痛みを感じない荒れたティーンエージャーのように描かれる。しかしその本質は「純粋な子ども」なのである。

子どもというのは大人よりも残酷だ。思ったことをそのまま口にし、忖度することがない。しかしその行動ゆえにトーマスとチャーリーは「救われる」ことになる。

トーマスが教会のカネを盗んだことをエリーは彼の両親に知らせる。その結果、トーマスと両親は和解し彼は故郷に帰ることができた。これもエリーの子どもっぽい悪意の結果だ。彼女はきっとトーマスを困らせてやろうという意図があった。しかし子どもの考えることなどたかが知れている。子どもが期待した結果は往々にして違う結果に行き着く。それは想像力の限界を示す。

チャーリーはことあるごとに「正直に書きなさい」と助言する。しかしオンライン講座の学生たちにはその思いはほとんど届かなかった。彼は今生の別れとばかりに姿をカメラに映し、パソコンを投げ捨てる。

チャーリーは文字通り死ぬほど純真性を欲していたのだ。そしてそれこそが彼を救うカギだとわかっていた。

「ネバ―エンディングストーリー」や「ロードオブザリング」を思い起こしてほしい。世界を救うカギを握るのは未成熟な少年だ。未熟であるがゆえのあやうさを抱えつつも、純真な彼らは成長し道を切り開く。

愛するアランを失ってからずっと自分を痛めつけ死ぬように仕向けていたチャーリーは、エリーに救ってくれ(=殺してくれ)と懇願する。それがエリーにエッセイを読んでくれと必死に望むシーンだ。昔、エリーが「白鯨」を読んで書いたエッセイは、チャーリーを救う呪文だ。なぜならそこには「掛け値なく正直な洞察」が描かれており、それこそが偽りと自己嫌悪に紛れた人生を送ってきたチャーリーが望むものだからだ。冒頭、胸の痛みにのたうち回る中、偶然現れたトーマスにエッセイを読んでくれと言ったのも自分にとどめを刺すための儀式だ。しかしそのときは失敗した。

またエッセイを思い起こすことで、そのような純粋な存在であるエリーをこの世界に残せた、という喜びを実感することができる。

それがかなえられた瞬間、チャーリーは文字通り救われたのである。暗く陰鬱な画面が続いたなか、チャーリーが昇天するシーンは一見突飛な印象を受けるが、これは救済されたチャーリーが感じている歓喜を表現している。

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