主演のケイト・ブランシェットは鬼気迫る演技でゴールデングローブ賞を受賞。
彼女のパフォーマンス同様に、練り上げられた脚本とそこかしこに用意された伏線は視聴者を物語の中に引きずりこむ。
ネット上ではすでにたくさんの考察が繰り広げられているが、ここではターの人生の変遷を「名前」の観点から考えてみよう。
2022年 アメリカ トッド・フィールド監督作品
あらすじ
リディア・ターは現代最高の指揮者のひとりと評される。
女性初のベルリンフィルハーモニー主席指揮者として順風満帆なキャリアを築いてきたが
ある教え子の自殺がきっかけで過去の悪行がつぎつぎと表沙汰になる。
転落の危機を前にターの精神は病みはじめ、奇妙な幻想を見るようになる。
キャスト
- リディア・ター:ケイト・ブランシェット
- フランチェスカ・レンティーニ:ノエミ・メルラン
- シャロン・グッドナウ:ニーナ・ホス
- オルガ・メトキーナ:ゾフィー・カウアー
- アンドリス・デイヴィス:ジュリアン・グローヴァー
- セバスティアン・ブリックス:アラン・コーデュナー
- エリオット・カプラン:マーク・ストロング
ターとは何者か? ~Linda TarrからLydia Tárへ~
日本語版タイトルが「TAR/ター」、原題が「TÁR」である。
このことから、この映画はター自身を唯一無二の主人公として描き、その軌跡を観客に体験してもらおうという製作者の意図がうかがえる。
※日本語版でAのアクセント記号が付いていないのは入力しづらいのを考えてかな? ちなみにポケモンはPokémon表記が正しいという豆知識
リディア・ターはステージネームである。
本来の出生名は「Linda Tarr」、これは零落後、ターの実家に戻った際、幼少期にもらったであろうコンテストの賞状で確認できる。
Linda Tarr どこにでもいそうなアングロサクソン系の女の子の響きだ。
実際のところ、リンダというファーストネームは第二次世界大戦後~1960年代半ばまで女の子の名づけ人気上位にランクインしていた。
リンダ・ハミルトン(ターミネーターのサラ・コナー役)、リンダ・ロンシュタット(歌手)がまさにその世代。
普通の女の子Linda TarrからLydia Tárへの変身は、ターが好むと好まざるにかかわらずそうせざるをえなかったのである。
クラシック音楽をはじめたとした伝統音楽の世界では、どうしても生まれが重要とされる。
子どもがクラシック音楽の素養をもつためには、まずは両親がクラシックに理解がなければ始まらない。
具体的には家庭にレコードやピアノがなければ学べないし、専門教育を受けさせるのには多額の費用がかかる。
つまり文化資本が必要である。
ではターの生育環境はどうだったのだろうか?
これは想像するしかないが、経済的・物質的には十分恵まれていたとはいえないのではないか。
実家のあるニューヨーク スタテン島は伝統的に労働者階級が多く集まるエリアであるし、作中の家屋のつくりもごく一般のそれである。
ターは家族の助力を頼りにせず(ただ実際には支援はあったと思う)、自身の才覚でここまで上り詰めたと意識が強いのではないか。
それゆえに母に対する冷たい態度(多忙を理由に会いに行かない)や兄に対するそっけなさを表すのをはばからない。
幼年期の自分=Linda Tarr
成功への野望を抱き、ついにその地位を手に入れた自分=Lydia Tár
Linda/Lydiaともに「美しい」が語源である。後者はギリシャ語起源のためヨーロッパ的な響きをもつ。
ドイツに活躍を移した彼女にとってはうってつけだったのかもしれない。
なお新約聖書にはLydia(ルデヤ)が登場する。パウロの説法を聴いて、ユダヤ教からクリスチャンに改宗した女性である。
映画冒頭のインタビューシーンでは「改宗者パウロ」のたとえがあったが、ターはすでに「改宗」しているのである。
それは邪推かもしれないが、権力を握るためならどんな手を使ってもよい、という力の論理に魂を売ったのかもしれない・・・
彼女の軌跡はニューヨーク→ベルリン→フィリピンと描かれた。
ラストシーンをどのように解釈するかは受け取り手にゆだねられているが、もしかしたら再度の改宗が待っているかもしれない・・・などとスクリーン外の妄想にふけるのも楽しみのひとつではないだろうか。
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