あらすじ
1984年。業績不振のナイキのバスケットボール部門。ソニー・ヴァッカロは、ナイキCEOのフィル・ナイトから当部門の立て直しを命じられる。ソニーと上司のロブ・ストラッサーが目をつけたのは、後に世界的スターとなる選手マイケル・ジョーダンだった。
キャスト
ソニー・バッカロ:マット・デイモン
フィル・ナイト:ベン・アフレック
ロブ・ストラッサー:ジェイソン・ベイトマン
デロリス・ジョーダン:ヴィオラ・デイヴィス
ジョージ・ラベリング:マーロン・ウェイアンズ
ハワード・ホワイト:クリス・タッカー
デビッド・フォーク:クリス・メッシーナ
ピーター・ムーア:マシュー・マー
歴史・ブランド・才能
なぜマイケル・ジョーダンの母デロリス(ヴィオラ・デイヴィス)はシューズ販売の収益配分を望んだのか?NBA入り前の新人には破格の5年契約だけではなぜダメなのか。
それはアメリカ史における黒人の立ち位置と深く関係する。
物語の120年ほど前までアメリカでは奴隷制度が続いていた。劇中では「資本家は投下資本に応じて収益を受け取る」とセリフがあるが、当時はプランテーション経営などを行う白人資本家が、黒人奴隷を購入・所有し、彼らを使役することで利益を上げていた。つまり奴隷は売買の対象である商品であり、労働に供する道具であった。ここでは奴隷は自らの肉体を労働に供することではじめて存在意義があり、よしんば役に立たなくなれば殺された。これは自由労働者が自らの労働を提供することで報酬を得ることとはまったく異なる「モノ」のシステムである。
本作AIRはナイキ社のブランドの創造にまつわる物語だ。ブランドとは、ある商品と同一カテゴリーの他のそれとを区別する概念。語源的には家畜に焼き印を押し、所有者を明確にしたことに由来する。時間をさかのぼれば、黒人奴隷は文字通り焼き印を押され所有されていた。
80年代、奴隷制度はもちろん過去のものであったが依然として差別は残っていた。白人が主導するロイヤリティビジネスから黒人のわが子を守るため、母デロリスが考えたのはマイケル自身がブランドになり、そのブランドがもたらす果実を収益(シューズの売上から一部分配金を受け取る)として得るシステムだ。
ナイキ社が提案した契約金と何が違うのか?
ブランドは概念だ。ブランドはそれ自体が必ずしも優れているわけではなく(もちろん優れているものもある)、消費者のイメージに価値が決まるフィクショナルな概念だ。これは奴隷制時代の「モノ」として扱われる時代を想起させる。モノはそれ自体の価値や有用性をアピールしない。モノを使う人間側が利用方法を考え、そこから得られる効能を評価する。
一見公平で合理的な現代的なオファーをデロリスが断ったのは、先祖がえりを防ぐためだ。シューズというブランドとマイケルをお金でつなぐことで、ブランドにはマイケルの人格が刻み込まれる。マイケルのパフォーマンスによってシューズの売上が変わる、そして手にする報酬も変化する。これはブランドそれ自体がみずからの価値を変化させられないのに対し、マイケルの才能で変化を生み出す方策である。そこにはマイケルに対する絶対の自信と成果主義の思想がかいまみえる。
これは経済思想の大幅な転換だ。ソニーが指摘するとおり従来の慣行を打ち破る。だから終盤のソニーとデロリスの電話での会話がこの映画最大の見せ場なのである。
なぜBorn in the U.S.A.なのか?
劇中はさまざまな80sソングが流れる。
しかしその中で特筆すべきはブルース・スプリングスティーンのBorn in the U.S.A.だ。ロブが歌詞に言及するセリフがある。「ノリのよいロックだと思って歌っていた。けれど歌詞をよく読むと仕事のないベトナム帰還兵のことを言っているんだ」。またエンドロールでこの曲が流れる。
激しいロック調と愛国的なコーラスの反面、歌詞は戦場での死、貧困、やるせなさ、暗い未来を描写する。あたかも行き場のない思いをやけっぱちの強がりで表現するかのよう。
二面性、つまりものごとの片方をつかむだけではその本質はつかめない。
本作も二面性にあふれている。たとえば、ロブ(ジェイソン・べイトマン)はスポーツシューズ産業の二面性を指摘する。先進国の若者が欲しがるおしゃれでかっこいい商品は韓国や台湾の低賃金労働者の手で作られていること(今やミャンマーやバングラディシュに移っている)。また、すきあらば仏教の言葉を引用する元ヒッピー(フィル・ナイト)はいまや上場企業のCEOを務め、部門の業績回復に躍起だ。
ものごとにはすべて表と裏がある。それを認識しているならよっぽどましだ。なお同じく1984年、レーガンは自身の大統領選挙キャンペーンでBorn in the U.S.A.を使用した。純粋に愛国主義的で共和党の方針にマッチしているからという理由だった。レーガンは大統領就任後、新自由主義的な政策を推し進めるが、それによって二面性、つまり格差が拡がったことはたいへん皮肉である。
Born in the U.S.A.にはある種の諦観が感じられる。つまり戦争に駆り出され身も心もボロボロだ。運よく生きて帰っても人間扱いされない・・・でも俺はこのアメリカという国に生まれちまったんだ。もうどうしようもない。何度もコーラスで繰り返される。帰還兵ランボーはこの状況のなかでついに怒りが爆発した。しかし本作の登場人物はベトナム戦争従軍世代ではない。少し上の年齢層だ。
ロブは若い世代の諦観をいくらか感じ取っているようだ。だからシューズ産業の構造的問題に気づきながらも、もしバスケシューズ部門が廃止となっても恥を忍んでナイキに残ると言った。ナイキのシューズを売り続けることが、娘との紐帯であり、自分の仕事である。
本作の影の主人公はロブなのだ。