奇跡の救出劇の背景にはタイ独特の政治風土、文化がかいまみえる。今回はその背景にスポットを当ててみよう。細部を理解することで全体が際立つこともあるだろう。
あらすじ
2018年にタイ北部で起きたタムルアン洞窟遭難事故を映画化。洞窟を探検していたサッカーチームのメンバー13名が急な豪雨で増水した内部に閉じ込められた。かれらの救出活動にあたったダイバーチーム、タイ軍、1万人を超えるボランティアの奮闘を描く。
キャスト
- リチャード・スタントン:ヴィゴ・モーテンセン
- ジョン・ヴォランセン:コリン・ファレル
- ナロンサック・オサタナコーン:サハジャク・ブーンタナキット
- リチャード・ハリス:ジョエル・エドガートン
なぜ子供たちは生きて帰れたか?
上記の問いは、なぜ子どもに麻酔をかけて水中を運ぶというハイリスクな計画が実行できたのか?と同義だ。なぜならこの方法以外では子どもを外に出せず、いずれ衰弱死することが目に見えていたからだ。その答えはタイがほどほどに強権的で、当局は欧米先進国ほど説明責任や倫理観の束縛がなく、また必要とあれば外国人の助力も請える柔軟な姿勢だったから、となる。
ほかに方法がないとしても麻酔救助法は日本などでは実行が許されなかった可能性がある。子の安否を案じる親になにも説明しないまま作戦を進めるのも、現代の手続重視の社会では難しい。もしもの話だが、何人かの死者(もしくは全員死亡)の結果になっても、当局は経緯を明らかにはしなかっただろうし、ましてや麻酔で意識を失わせ手足を縛った状態で搬出したなどとは口が裂けても公表しないはずだ。タイ当局は自国の海軍特殊部隊の潜水技量よりも外国人ダイバーの方が有能と認めた。タイよりも強権的な中国ではこの決断は下せなかっただろう。潜水艦沈没事故で外国人ダイバーの協力を断ったロシア政府のことを思い出した(映画「潜水艦クルスクの生存者たち」を参照)。
仏教国タイ
訪れたことがある人はご存じにようにタイは仏教国だ、街中にはいたるところに寺院があり、道行く人は熱心に祈りをささげる。また徳の高い僧侶はスター並みの人気で、写真入りの祈祷グッズが作られる。
本作では仏教がいくつかの場面で描かれる。救出を祈願する高僧たち、また洞窟内に取り残された子供たちがパニックに陥らなかったのはコーチが瞑想を教えていたからだ。宗教観が希薄化した先進国では祈祷などなんの役にもたたないと無下にするかもしれない。しかし宗教というのは信者の間の連帯を促進する効果がある。つまりコミュニティの強化だ。高僧が洞窟にやってきて無事を祈願するのは、この事故が個別の問題というだけでなく国の大事件だと訴求する。つまり敬虔な仏教信者であるみなさんは不幸な子供たちを救うために何ができるか?と問いかける。それゆえにボランティアも多数駆けつけたのだろう。
気候変動の被害
13人が洞窟内に閉じ込められたのは自己責任だという意見もあった。しかし例年なら大雨が降らない時期に洞窟内が冠水するほどの降水量を記録した。これは気候変動というグローバルな影響を受けるローカルな人々という構図になる。気候変化の被害をまっさきに受けるのは、まずは山間部・島しょ部などに住む辺境の民だ。
「昭和」の風景
放課後、サッカークラブで活動しそのままみんなで遊び、暗くなったら友だちの誕生会に行く。少子高齢化の日本では見ることが少なくなった光景だ。いかにも「昭和的な」風景だ(筆者は昭和生まれではないため、いあゆるイメージ上の昭和といった方が妥当かも)。実際、タイの経済規模は日本の1980~90年ごろにあてはまる。
タイ王室
事故が起こった2018年当時のタイはどのような政治状況だったか?2016年10月に前王ラーマ9世が崩御し同年末ラーマ10世が即位した。たびたび政情不安が訪れるタイだが近年は安定している。現王は評判がよくなく不人気だが政治的な変革を巻き起こすほどでもない。作中、県知事と女性補佐官が身に着ける黄色のスカーフに注目。黄色は王室カラーで、行事の際は国民に着用が求められる。またタイでは生まれた曜日ごとに色が決まっている。ラーマ9世は月曜日生まれで、黄色が該当する。県知事は更迭寸前だが王室との連帯を示している。知事の罷免権限をもつのは大臣だが、知事の忠誠心は大臣よりも国王に向いている。なお大臣自身も黄色のシャツの着用が確認できる。