【徹底映画考察】東ベルリンから来た女【レンブラントの絵を解説】

映画考察

あらすじ

1980年の東ドイツ、女医バルバラは西ドイツへの出国申請を出したために、東ベルリンの大病院から田舎町の病院に左遷される。かたくなに他の同僚とまじわらないバルバラに対し、医師アンドレはいつしか惹かれていく。シュタージの監視をかいくぐりながらバルバラは西ドイツから出張してくる恋人ヨルクと密会し、脱出の計画を練っていた。ある日、飛び降り自殺を図った青年マリオが病院に担ぎ込まれてくる。頭部にできた血栓を除去するためマリオの開頭手術の日程が決まる。しかしその日は偶然にもバルバラの脱出日と重なるのであった。

2012年 ドイツ クリスティアン・ペツォールト監督作品

キャスト

  • バルバラ: ニーナ・ホス
  • アンドレ・ライザー: ロナルト・ツェアフェルト
  • クラウス・シュッツ: ライナー・ボック
  • ステラ: ヤスナ・フリッツィ・バウアー
  • ヨルク: マルク・ヴァシュケ

密閉国家に生きる女性の物語

バルバラが生活する田舎町はいかにもヨーロッパの田園風景といったところで、たいへん牧歌的だ。

しかしはやくも序盤にのどかさは打ち破られる。彼女の住むアパートに突然男たちが現れ、部屋の中を引っかき回した挙句、女性の検査官が彼女の身体検査までも行う。

そう、この映画は1980年の東ドイツを舞台にしている。彼らは秘密警察シュタージで、当時密告や盗聴を駆使して祖国の「裏切り者」を検挙することに血道をあげていた。

この映画にはしばしば他国の文化や芸術が描かれる。

病床のクレアにバルバラが読み聞かせるのはハックルベリーフィンの冒険。ラジオからはフルトヴェングラーが聴こえる。レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」が壁にかかる。

これらはバルバラが切望する自由な西側諸国の象徴だ。思想が押しつけられ、日々の生活を監視され、密告者を恐れてだれも信用できない密閉国家を束の間忘れさせてくれる一服の清涼剤。窒息しそうな日々を生きるため芸術をよすがとする。

自殺未遂をしたマリオの受け答えを診断したバルバラは「記憶はあるが感情がない」というセリフを言う。これは劇中ではマリオの脳障害のことだが、もっと本質的には東ドイツ国民の集合意識を指し示す。

ほんの30年前、東西の別なしにドイツは敗戦から復興しようとしていた。さらにドイツ人として両大戦の苦難を味わい、その戦間期には束の間の平和であったワイマール時代を経験した。

西ドイツ人同様、東ドイツ人もこれらも経験の記憶はあるが、今を生きる感情というものがない。30年にもわたり閉じ込められた結果、感情を抱くこと自体むなしく思えるようになってしまった。あるいは他人に共感したり、憐れに思ったりすることが、場合によっては自分の身に火の粉が降りかかる事態につながりかねない。閉じた国家の中では、そこに生きる個人も心を閉ざすのだ。

もしくは人々が物事をどのように考えるか、評価や解釈をすることができなくなった社会を象徴する。考える自由を奪われたディストピア。そこにあるのは物事があったという事実だけで、なにも感情が湧き起こらない。

バルバラはなぜ決断したのか?

医師としてのバルバラは、ステラに特段の愛情を抱く。ボロボロになりながらも反抗し、何度でも脱走を図るステラの姿に過去の自分の姿を見たのかもしれない。しかしこの国で自我をもつことがどれほど危険か彼女はよくわかっている。若者の未来を奪う国。自己犠牲をしてまでステラを出国させた決断は、医師としての職業倫理だけではなく、彼女を救うことが自分を生かすことなのだ。

アンドレの家で本について話すシーンがある。アンドレが薦める「群医師」という小説。醜い老医師がたまたま立ち寄った家で結核の少女の治療をする。結局少女は死んでしまうが、医師の中に憧れの恋人の姿を見た彼女は幸せだったろうというストーリーだ。

この挿話がバルバラの決断のトリガーとなった。中年の自分が若者の未来を救う。自分はこの国でなんとかやっていけるからと。

レンブラントの絵が意味するものとは?

バルバラとアンドレがレンブラントの絵を見ながら会話するシーンがある。テュルプ博士の解剖学講義。

この絵は一見すると奇妙だ。目の前に解剖されている検体があるのに、見物人はみな教科書を熱心にのぞき込んでいる。これは作中では、国家と市民の関係に擬せられている。為政者や権力者(もちろんシュタージも含む)は、東ドイツとはどのような国家であるべきか、また東ドイツ国民とはいかに生きるべきかについてしか考えない。それは絵の中の教科書をのぞき込む人々だ。さらに東ドイツという国を見るほかの国々のことをも示す。すなわち為政者も他国も東ドイツの本当の姿を見ていない。教科書という、実態から離れた建前だけを注視している。

反対に解剖される中央の男はないがしろにされる。彼は絞首刑となった罪人といわれている。

しかしバルバラは彼に注目した。左腕の筋肉組織の形状に解剖学的な誤りがあることを発見した。つまり教科書自体が間違っているのである。誤謬や堕落のない権力・国家は存在しない。

アンドレは「この男を見ると医者の立場から離れられる」と言う。それは権力や法律から離れ、個人がもつ人間性に着目するという意味である。

それは〇〇主義といったイデオロギーは、人間性を完全に奪えないということだ。シュタージの男クラウスには末期ガンに苦しむ妻がいる。密告を求められたアンドレは次第にバルバラに思いを寄せる。母娘のような関係を築くバルバラとステラ。

本作は密閉国家でしたたかに生きる人間を描く秀作だ。

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