以下、ネタバレ注意です。
あらすじ
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの犠牲者ならびにがれきの撤去作業中に亡くなったまたは負傷した人々への補償基金が設立された。調停の責任者として、数々の功績のある弁護士 ケネス・ファインバーグが任命される。全対象の80%の家族との合意を目指すが、調停チームはさまざまな困難に直面する。
キャスト
- ケネス・ファインバーグ:マイケル・キートン
- チャールズ・ウルフ:スタンリー・トゥッチ
- カミール・バイロス:エイミー・ライアン
- テイト・ドノヴァン:リー・クイン
アメリカ政府が本当に恐れた事態とは?
なぜアメリカ政府主導で補償基金が立ち上げられたのかは作品冒頭に明示される。すなわち個々の被害者・遺族が訴訟を行うとすれば、被告たる航空会社やワールドトレードセンター管理会社はテロを未然に防げなった管理義務違反を問われ、天文学的な損害賠償が課せられる。それはつまり、アメリカ経済の中枢を担う大企業の破綻とサプライチェーンの崩壊を意味し、同国経済は回復不能なまでのダメージを受ける。
それを防ぐため、政府と議会は一致団結し、テロ発生後わずか11日後に補償基金設立を承認した。
これは一見するとたいへんに筋の通った論理である。国土を物理的に攻撃されるのみならず、経済面でもテロに屈するなど、絶対に避けなけえばならない事態だ。
しかしそれだけだろうか? この異常なまでの対応の速さには政府が抱いた別の恐怖が垣間見えると想像せざるをえない。
カネで解決することの意味
現代の法治国家においては、多くの損害・逸失利益は金銭にて解決される。なぜなら金銭という尺度がもっとも人口に膾炙しているからにほかならない。
しかしながら本質的にカネで解決できない事柄もある。それは人間の命や尊厳・精神的自由など、人として生きるに欠かせない存立基盤に関わる場合である。つまり道義的・倫理的問題をカネの尺度で測ってもよいかという疑問だ。
しかし力のあるものは進んでカネの問題として解決してきた。なぜならその紛争が答えのない道義的・倫理的・哲学的問題になることを極度に恐れているからである。特に国家権力や大企業はそういった傾向が顕著だ。
本質的に人間が統御できない問題をカネの問題として一段低くする。なんでもかんでもカネで解決する人というのは、豊かなのではなく、人間の内面にふれることが怖いのである。たとえば日本の原子力施設問題がわかりやすい。原子力という人間の科学力ではコントロールしきれないもの(実際にできなかったと2011年判明)をあたかもカネの配分の問題として捉えていたのが、日本の原子力行政であった。
9.11のテロでアメリカの国土安全神話は揺らいだ。あれほど軍事・外交・諜報に予算を費やしていたにもかかわらず、パールハーバー以来の本土攻撃を許した。しかも繁栄の象徴 摩天楼と政府中枢機関が剥き出しの攻撃にさらされた。そのとき為政者が感じた恐怖は筆舌に尽くしがたい。
その恐怖を克服し、テロリストに報復の打撃を加えるためには、いの一番に補償問題を解決せざるをえなかった。それが当時のアメリカ政府の深層心理である。