【徹底映画考察】パリタクシー【高齢化社会を救う「贈与」の神話】

映画考察

以下、ネタバレ注意です。

あらすじ

パリでタクシー運転手をしているシャルルは、カネもなければ休みもなく、免許停止寸前という人生がけっぷちの状態にあった。ある日彼に、92歳のマドレーヌをパリの反対側まで送り届けるという仕事が舞い込んでくる。彼女の頼みでパリの街のあちこちに立ち寄るうちに、マドレーヌの知られざる過去が明らかになっていく。

2022年 フランス クリスチャン・カリオン監督作品

キャスト

マドレーヌ・ケレール:リーヌ・ルノー
シャルル・ホフマン:ダニー・ブーン
マドレーヌ・ケレール(若年期):アリス・イザーズ
レイモン・アグノー:ジェレミー・ラウールト

高齢化に直面する先進国の悩み

近年、日本の書店に行くと「老い」をテーマにした書籍がずらりと並ぶ。おおむねそれらはシニア層を対象とし、残された人生の歩み方などを指南するものだ。

ひるがえって本作は「老いる者」と「まだ老いていない者」が社会でどのように共存できるかを捉えた作品だ。上記の書籍群がパーソナルなものに対して、この映画は社会的・公共的な視座を提供する。

さらにいえば、高齢化を社会問題として抱える国においては、「老い」を社会全体でどのように受容するかが喫緊の課題である。フランスは少子化対策の成功が喧伝されているが、2060年には人口の1/3が60歳以上になると予想されている。高齢化問題に社会的な合意が形成されなければ、老人/若者といった分断・対立の構造を招きかねない。

本作はいくぶん美談やユートピア性に飾られているが、「贈与の神話」という形で糸口を導き出す。

高齢化社会を救う「贈与」

本作のヒロイン マドレーヌにまつわる言葉を3つ挙げるとするならば、「贈与」・「過去の語り部」・「開明思想」である。そしてこれらは高齢化社会において、高齢者に求められている美徳3要素といってもよい。つまるところすべてを兼ね備えたマドレーヌは手本とすべきロールモデルなのだ。

まずもっとも中心的な概念となる贈与についてである。これは文字どおり、形あるものを若者に残すという意味だ。次世代へのバトンという言い方もできるし、死ぬまで財産を抱え込む業突く張りとは正反対の態度である。映画内では老人ホームに入居するマドレーヌが、お金に困っているシャルルに少なくない金額を譲り渡すというわかりやすい形で描かれる。

そして重要なのは、この贈与が完全な一方的な善意や憐みから出ていないという点である。シャルルは実際、タクシー業務としてマドレーヌをアテンドし、当初の目的地だけではなくパリのそこかしこに点在する思い出の地にマドレーヌを連れて行った。一度施設に入れば自由が制限される彼女からすれば生涯最後の旅行である。この夢を叶えてくれたシャルルに彼女は贈与をした。

つまり返報性の原理である。これは古代から人間心理と切っても切れない感覚だ。人は何かをしてもらったら、お礼をせずにはいられない。情けは人のためならず。

いくら老い先短いといえども、ただやみくもに「自分のもっているものを若者に与えなさい」とは言えない。これを可能ならしめるのが返報性である。一方、若者も手助けをしなければ、贈与の対象にならない。お互いができること、もつものを与え合うことで健全で相互通行的な社会ができあがる。

また返報性は客観的に見て等価なものを与え合うわけではない。経済的な交換ではないため、「客観的に等価な価値」というものは計量すらできない。つまりはお互いの感情的な満足の問題なのである。しかしながら、年長者から大いなる価値のあるの贈与が暗に期待されるようである。

社会的ヒーローとしての高齢者

マドレーヌは歴史の生き証人である。第二次世界大戦中、ナチに敵対した父親は殺された。またひとり息子はキャパに憧れベトナム戦争の取材に赴いたが帰ってこなかった。先述の贈与の中には過去の記憶も含まれるであろう。特に負の記憶。なぜなら文章や映像といった記録だけでは、負の記憶のもつ辛さや苦さを追体験できないからである。それを実際に体験した人がそうでない人に記憶を語ることで紡いでいく。オーラルヒストリーこそが集合的記憶の原点である。

またマドレーヌは1950年ではたいへんに「反逆的な」思想の持ち主であった。なにしろ日夜、女房子供に暴力やモラハラを繰り返す夫に文字どおり断種を行っているからである。

当時、女性は控えめで夫に付き従うことを美徳とした風潮であったことを考えるとたいへんに開明的であるし、むしろラジカルだ。このエピソードが一瞬胸のすくようなカタルシスをもたらすのは(ただし刑務所に収監される結末は別にする)、彼女の思想が現代に通じるものであるからだ。

その点、彼女は先駆者として描かれている。頑固で保守的な高齢者(=老害)と対をなす、社会的ヒーローとしての高齢者が彼女だ。

マドレーヌはヨーダやミスターミヤギである

マドレーヌという女性には上記のすべての要素が体現されている。少し詰め込みすぎかと思うくらいだ。実際のところ、彼女を理想化するのは、一種の老人選民思想のように思える。なぜなら贈与すべきものがあり、語るべき歴史があり、現代に通じる考えをもっている老人というのは、いったいどれくらいいるのだろう。端的に言えば「何ももたない」老人が大多数だ。

そういう意味で冒頭に「神話」という言葉を使った。

見方を変えれば、マドレーヌは「スターウォーズ」のヨーダや「ベスト・キッド」のミスターミヤギと同じ人種だ。彼らは困っている若者を導き助けるアイコンだ。マドレーヌもそういった現実に存在しない特別な存在なのだろう。むしろそんな伝説的英雄的な存在をつくらなければ高齢化問題に対処できない。先進国政府の底深い悩みを垣間見ることができる。

タイトルとURLをコピーしました