【徹底映画考察】トゥモロー・ウォー【B級タイムトラベルSF映画の皮をかぶったSDGs提唱作品】

映画考察

以下、ネタバレ注意です。

あらすじ

2022年12月のある日、突如サッカースタジアムに未来から来たという数十名の兵士が現れる。30年後の未来からやって来た彼らは、「ホワイトスパイク」と呼ばれるエイリアンに地球は侵略され、人類は絶滅の危機にあると世界中に呼びかけ、救援を求める。地球を救うため世界各国は一致団結し、兵士と物資を未来へ送り出したものの、際限のない増殖を繰り返す敵の前になすすべなく多大な犠牲を払う。元軍人の高校教師ダン・フォレスターは招集通知を受ける。検査に合格した彼は、素人同然の新兵たちとともに未来世界の戦場に時空転送される。

2021年 アメリカ クリス・マッケイ監督作品 アマゾンプライムビデオ配信

キャスト

  • ダン・フォレスター:クリス・プラット
  • ミューリ・フォレスター:イヴォンヌ・ストラホフスキー
  • エミー・フォレスター:ベティ・ギルピン
  • ジェームズ・フォレスター:J・K・シモンズ
  • チャーリー:サム・リチャードソン
  • ドリアン:エドウィン・ホッジ

未来の人類のために死ねますか?

「未来の人類を救うために死んでください」

━━━こう告げられたらあなたならどうする?おそらく大半の人が尻込みするはずだ。逃げ出す人も出るだろう。

しかしこの作品の中では、国家による私的領域への干渉を嫌うアメリカ人でさえ徴兵におとなしく応じている(一方で徴兵反対に反対する暴力的デモが世界各地で起こっている)。

今そこにある危機ではなく、30年後の危機を防ぐため、命を捨てる必然性はどのように正当化されるのか?

まず道義性の点では、いずれ生まれてくる自分たちの子孫を救うための戦いといえる。また現代を生きる人の中にも30年後生存している人はたくさんいることから、自らを助ける意味でも意義が見いだせる。

また政治的な見方では、国家というものは未来永劫に存在することを志向するから、現在の人命とリソースを犠牲にしてでも戦争に参与しなければならない。これは国家の宿命である。

つまり世界各国の政府は、30年スパンといういまだかつてない総力戦を行うことを決意した。史上初の総力戦として挙げられる第一次世界大戦が4年間、つづく第二次世界大戦が6年間であったことをかんがみると、全世界を巻き込む30年戦争という途方もないスケールだ。

しかしながらこの「30年」という設定は絶妙な舞台装置だ。おそらく本作の脚本家は100年でも、3年でもなくあえて30年を選んだ。それは下記で述べることに関係するが、人間の想像力の射程がせいぜい数十年にしか及ばないことに基づくのだろう。

【環境問題】と【セカイ系】でこの映画を解釈する

未来世界に襲いかかるエイリアンの攻撃を「地球温暖化にともなうさまざまな危機」と置き換えてみるとよい。この作品を観終わった人には説明するまでもないが、エイリアンの出現は温暖化による北極圏の凍土溶解が原因だ。また作中では露骨に、現代2022年で気候変動の危機を訴えるシーンがある。たとえば、サッカー中継では気温上昇のため夏季の大会が開催できなくなったこと。またTVモニターには環境保護を啓発する動画が流れる。

むろんこれらを単なるエイリアン出現の伏線とみなすこともできる。しかしハリウッド映画が政治的メッセージをしばしば含むことを考えると、環境保護が本作のメッセージだと解釈することもできる。むしろその方が、このストーリーにちぐはぐさをはらむB級映画に深みをもたらすことができる。

すなわち今を生きる全世界の全構成員は、「たった30年後の未来」を救うためにもただちに行動しなければならないという切羽詰まったメッセージだ。そして全リソースを費やしたとしても成功するかどうかわからない危機的な状況にあるという警鐘である。

そして未来を救うために今を犠牲にすることを論理的に納得させるギミックが「家族のため」という動機づけだ。作中では、家族の尊さがいくつかのエピソードで描かれる。父娘の別れと再会、長らく疎遠だった父子の和解、そしてクライマックスの家族の結集。

つまりしょせん人間の想像力には限りがある。時間的・空間的に遠く離れた人のために自分が犠牲を払おうと決意することは難しい。しかしそこに血のつながった「家族」が懸け橋になってくれれば、想像力は多少でも拡がりを見せる。「想像力」を「思いやり」に置き換えてもよい。そしてこの価値観は世界あまねく通用する。

言い換えれば、セカイ系で環境問題を考える視座を提供する。これがこの映画に意図されたメッセージだ。

30年後が無理なら、「明日」のことを考えてみないか?━━━これがタイトルの意味するところである。

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