あらすじ
メタルドラマーのルーベンは恋人のルーと一緒にバンドを組み、車上生活をしながら全国のライブハウスを回っていた。あるライブ中、ルーベンは耳が聞こえにくくなっていることに気がついた。病院で受診したところ、両耳の聴力が急激に低下しており、ルーベンはいつ失聴状態になってもおかしくないと判明。ルーベンはすぐに治療を開始したが、症状は急速に悪化していった。ルーは自暴自棄になるルーベンを見て心が痛み、以前克服した薬物使用に戻りかねないことを心配して、彼を聴覚障害者の自助グループのもとへ連れて行く。メンバーとの交流を通して、ルーベンは徐々に生きる希望を見出していくものの、人工内耳を埋め込む手術を受ける期待も捨てきれず思い悩む。
キャスト
- ルーベン・ストーン:リズ・アーメッド
- ルー:オリヴィア・クック
- ジョー:ポール・レイシー
- ダイアン:ローレン・リドロフ
- リチャード・バーガー:マチュー・アマルリック
青春を取り戻す
ドラマーのルーベンにとって聴覚とはなくてならないものだ。しかしそれだけではない、彼は聴力を取り戻すことで、恋人ルーとの貧しくても心安らぐキャンピングカー生活に立ち返り、また昔と同じように全国のライブハウスを巡るジプシー的な生活を渇望する。
これはルーベンにとって青春の象徴だ。彼は定住を拒否し、パートナーであるルーと転がる石のような日々を送りたい。
だれしも10代の頃は、このような自由な生活に憧れただろう。しかし進学や就職といった社会的な要請、またはこんなことをやってていいのだろうかという自身の焦りによって、そんな生活は終わりを告げる。
ルーベンは30歳代と思われるが、幸運にも(?)いままでそんな決断に迫られることはなかった。よき理解者ルーもそばにいてくれた。しかしながら耳が聴こえなくなるという突然の変化によって、彼の人生は別のステージに進まざるをえなくなる。
本作が描くのは変化と選択である。
新しい生活
ルーの強い薦めで、ルーベンは聴覚障害者の自助グループに参加する。彼らは郊外にコミュニティを形成し共同生活を行っている。また参加者は薬物使用の過去をもつ者が多く、IT機器の使用を制限するなど外界と隔絶していた。
自由な人生を謳歌していたルーベンにとっては地獄のような環境だっただろう。当初の彼は自身が耳が聴こえないことを認められないでいた(または一時的なもので手術で回復するものと考えていた)。
アメリカには身体・精神障害者、アルコール、薬物中毒者さまざまな自助組織が存在するが、参加者がまず求められることは、「自分は〇〇(たとえば薬物中毒)である」と自身の状況を正しく認めることである。
ルーベンは今までの生活とは対極にあった生活を始める。ひとところに定住し、規則正しく、毎日なにかしらの日課を与えられる。
彼は変わり始める。当初必要とは考えていなかった手話をおぼえ、聾学校の子供たちとふれ合い、ドラムを教える。
境界と越境
コミュニティを自身の居場所と思い始めたルーベンだが、聴覚を取り戻す希望を捨てきれない。彼は全財産を投げうって人工内耳手術を受ける。
ルーベンは100%元通りではないにせよ日常生活を送れるレベルの聴力を取り戻す。彼は人々の間にもたらされた分断の越境者となった。境界の人ともいえる。聴こえる/聴こえない、聴覚障害をありのままに受け入れる(=自助グループの思想)/治療できる疾病として考える、健常者と同じ生活ができる/同じ障害をもつコミュニティで生きる・・・
またルーベンは今まで意識してこなかった境界線に気づく。ルーの実家を訪ねた時だ。広々とした屋敷、豪華な調度品、ルーベンが生きてきた世界とは別世界だ。バンドを組んでいたときのルーはずっと自分と同じ側にいると思っていた。しかしルーも越境者で、いまや精神的に落ち着いた彼女は父親と仲睦まじく、実家をあたたかな居場所と思っていた。
ルーベンが変わっていく中で、ルーも過去の彼女とは違う人間になったのだ。
パーティーのシーンが印象的だ。耳が聴こえる人たちの中でだれとも打ち解けられず、ひとりぼっちになるルーベン。話せるのに話せない、コミュニケーションをとろうと思えばできるのにそれができない矛盾、それは目に見えない断絶と分断だ。ルーベンが立ち入れない社会的文化的階層にいる人々に囲まれる孤独。
哲学者 三木清の言葉「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の間にある」が思い出させる。
ルーベンが向かう先は
コミュニティにもルーのもとにも戻れないルーベン。
タイトルの「サウンドオブメタル」は、ルーベンが奏でていたメタル音楽のドラムの音、中盤の滑り台の金属板部分を叩くことで音の振動を聴覚障害の子どもに伝えたシーン、ラストのノイズが混じった鐘が鳴る音。いずれも金属が奏でる音だが、それぞれ異なる感覚でルーベンは音をとらえた。また実際に聴く音もわれわれとは異なるだろう。
幾多の不可逆な変化を経て、ルーベンは新しい場所に越境していく。そんな希望が描かれたラストシーンである。
同時にわたしたちにも問いかけてくる。人間は生まれてから死ぬ間で、身体機能や感覚が衰えていくのは避けられない。いつかはだれしも耳が遠くなり、目が見えなくなり、自分で歩けなくなる。そんな変化が起こるとき、受け入れるのか、それとも抗うのか。この映画は君たちはどう生きるか、と投げかけてくる。