以下、ネタバレ注意です。
あらすじ
一流レストランで副料理長を務めるカティは、シェフと大ゲンカして店を飛び出してしまう。やっとのことで見つけた新しい職場は移民の少年たちが暮らす自立支援施設で、まともな食材も設備もない。施設長ロレンゾは不満を訴えるカティに、少年たちを調理アシスタントにしようと提案。少年たちと交流することで、人づきあいが苦手だったカティの生活にも変化をもたらしていく。
2022年 フランス ルイ=ジュリアン・プティ監督作品
キャスト
- カティ・マリー:オドレイ・ラミー
- ロレンゾ:フランソワ・クリュゼ
- サビーヌ:シャンタル・ヌーヴィル
- ファトゥ:ファトゥ・キャバ
- ギュスギュス:ヤニック・カロンボ
- ママドゥ:アマドゥ・バー
- ジブリル:ママドゥ・コイタ
なぜ料理を教えるか?の論理的帰結
これはどうすれば(不法)移民がフランス社会で生き抜けるかを示した大変に社会的な作品である。
まず移民の若者が成り上がる職業といえば、プロサッカー選手だ。現にそのような出自のスターは枚挙にいとまがない。作中でもジブリルはサッカーの道に期待されているが、実力が足りなかった。
サッカーは経済資本・文化資本の乏しい若者であっても、才能と体力さえあれば活躍できる世界だ。乱暴な言い方をすれば、身体という資本さえあればだれでも挑戦できる。道具もボールだけですむ。
では料理人の世界はどうだろうか?
実際に孤児として施設で育ったカティはこの道で一定の実績をあげている。それは料理人が現代にも続く徒弟制であり、長く下積みを求められるが、その間生活保障を得られる旧来的な世界だからだ。雑用という名の修行に忍耐強く耐え、徒弟内ヒエラルキーを高めていけば、いずれは責任ある立場になれる。
料理人文化にずっと浸ってきたカティの言動にはその影響が色濃く表れている。たとえば若者たちに調理のイロハを教えるシーン。「ウィ、シェフ!」とつけることを求める姿は、100倍の水で薄めたハートマン軍曹のようだ。また調理机を整然と並べ、その間を厳しい目線で歩き回るカティの姿は軍隊の指導教官そのものである。
実際のところ、欧米のレストランにおいて厨房の長たるシェフは絶大な権力をもつ。食材や設備、器材の導入やメニュー開発において、相当の決定権をふるう。それゆえシェフと対立したカティは即座にクビになった。そこでは
カティは厨房では男女の別など関係ないと言う。いわんや人種や国籍、宗教もである。厨房は本質的には平等だ。そこでは実力とある程度の年功序列が絶対だ。上意下達の厳格な上下関係。
しかしながら料理はサッカーと違い、体だけが資本というわけにはいかない。さまざまな食材や器具が必要である。端的に言えばたいそうカネがかかる。
カティは幸運にも児童施設内でマリーという師を見つけることができた。厨房のある施設は教室にはもってこいだ。自身の経験からカティは移民の若者たちに料理人養成の教育プログラムをプレゼントする。
学校というものは再生産の装置だ。一般の学校は良識ある市民を再生産するための拠点であり、また本や教材、運動具といった文化資本へアクセスさせるための手段である。カティはこの教育プログラムを通して、自身の成功の物語を再現できるよう環境を整えた。
料理人というのがいかにも美食の国フランスらしい。もし舞台がアメリカなら、最も現実的な移民地位上昇手段は軍への志願であろう。