あらすじ
ジョシュとルネ夫婦とその子どもたちが新居に引っ越してきて間もなく、長男ダルトンが昏睡状態に陥ってしまう。医者にも原因は分からず、昏睡したままのダルトンを自宅のベッドに移すことになった。献身的に介護するルネは、あるときから不気味な声、不審者の影など奇妙な出来事に家の中で遭遇するようになる。
2010年 アメリカ ジェームズ・ワン監督作品
キャスト
ジョシュ・ランバート:パトリック・ウィルソン
ルネ・ランバート:ローズ・バーン
ダルトン・ランバート:タイ・シンプキンス
フォスター・ランバート:アンドリュー・アスター
ロレイン・ランバート:バーバラ・ハーシー
エリーズ・レイニア:リン・シェイ
スペックス:リー・ワネル
タッカー:アンガス・サンプソン
ホラーのようなワンオペ地獄
タイトルのinsidiousとは、日本語で「陰湿な」といった意味がある。もちろん視聴者は後半からひっきりなしに出てくるジャンプスケアに背筋が凍りつくだろう。
しかしこの映画が奇怪なのは冒頭からで、ジョシュとルネ夫妻の関係性に現れている。
端的に言ってしまえば、ルネは「ワンオペ育児」を強いられており、ジョシュはあたかも何かから逃げるように妻の手助けを一向にしようとしない。
家族が標的になるホラー映画の典型とは次のようなものだ。
- 子ども→最初に人ならざる者の存在に気づく、そして憑依されたり行方不明になったり害を受ける
- 母親→子どもの異変を訴える声を信じ、救おうと奮闘する。しかし周囲からは理解されず、反対に異常者扱いされがち。
- 父親→母親の気づきに鈍感で、終盤まで役に立たないことが多い。母親をヒステリー呼ばわりして、無能どころか実害を与えかねない。
以上がホラー映画家族の定型だ。「母親有能/父親無能論」ともいえる。たとえば、リー・ワネル監督(本作にもかかわっている)「透明人間」ギレルモ・デル・トロ製作の「永遠のこどもたち」、「ダーク・フェアリー」がこのパターンにあたる。
ひとりで子ども3人の育児と家事を強いられるルネの姿は、現代の価値観からすれば夫から虐待を受ける妻という見方もできる。
まるでそんな苦境から逃避するようにルネは写真に写る若い頃の自分に心惹かれる。ルネは過去に甘美なものを感じるが、対照的にジョエルは過去を封印している。これは中盤以降の重要な伏線である。
長男ダルトンが原因不明の昏睡から覚めない中、ルネの周りでは奇妙な現象がつぎつぎと発生する。ここでも夫は無力だ。
ルネは霊的な現象だと疑い、自宅に神父を招く。対してジョエルは否定的だ。しかし義母のロレインは訳知り顔で肯定的な言葉をかける。「辛さは自分にしかわからない」、「やるべきことは自分でやる」。これも重要な伏線である。
用済みになる母性、試される父性
ジョエルの幼少期の秘密が明らかになって以降、物語の主役が変わる。悪霊と対峙するのは、ルネからジョエルにバトンが渡された。
これはホラー映画の定石を外す変化球だ。夫というものは最後まで、真相に近づきつつある妻に理解を示さず、ことによっては「ガスライティング」のような行為にも走りかねない。
この選手交代劇は、血縁・血族にまつわる対処できないおぞましさを表す(cf.アリ・アスター作品に見られる)。
また、「否定される妻」、「疑う夫」という対立関係は親世代から受け継がれたものであり(もしかするとさらに上の世代でも起こっているのかも)、脈々と続いてきた負の遺産だ。
そして悲しいことに、否定されながらもあれだけ必死に子どもの身を案じてきたルネが役に立たないと判明する。息子の魂を救えるのは母性ではなく、今まで距離を置き続けてきた父性なのだ。
この衝撃的な母性の解雇通知は、義母も味わったのであろう。そうであれば二重の負の連鎖だ。
それでは急にお鉢が回ってきたジョエルはどうだろうか。彼は自身の「遺伝的欠陥」を息子に継がせてしまった負い目がある。また息子を救うことは、幼少期に封印されたトラウマの蓋を開けることになる。彼の味わう恐怖は、異世界と化した家を地獄めぐりするシークエンスに凝縮されている。
ジョエルは物理的な腕力を駆使しして、息子を異世界から助け出そうと奮闘する。それは言い換えれば、「ホラー映画におけるマチズモ像」、「試される父性」を描いている。