以下、ネタバレ注意です。
あらすじ
第二次世界大戦後のアメリカ中西部の街。刑務所から出所したばかり知能犯ドックは、賭博屋コビーに宝石強盗の計画を持ちかける。ふたりは資金提供者のエマリック、金庫破りのルイ、運転手のガス、用心棒のディックスを仲間に引き入れ、強盗計画を実行に移す。
1950年 アメリカ ジョン・ヒューストン監督作品
キャスト
- ディックス: スターリング・ヘイドン
- ドール: ジーン・ヘイゲン
- エマリック: ルイス・カルハーン
- ドック: サム・ジャッフェ
- アンジェラ: マリリン・モンロー
- ガス: ジェームズ・ホイットモア
- ルイ: アンソニー・カルーソ
- コビー: マーク・ローレンス
ナイーブすぎる犯罪者たち
プロの犯罪者たちが完璧な犯罪計画を立て、宝石強奪を繰り広げるーーーーーーー
一見すると50年代に隆盛をきわめたフィルムノワールもののように思われるが、実のところ本作の登場人物はあまりにもナイーブすぎる。
本作の「犯罪者たち」はハードボイルドとは程遠い。また女性キャストは、マリリン・モンロー含め、フィルムノワールに典型的なファムファタール(男を破滅させる魔性の女)とは異なる。
ありていに言えば、彼らはあまりにも人間臭く、そして儚さを秘めているのだ。「犯罪者には犯罪者なりの理由がある」それを感傷的に描くのがこの映画の特徴である。
特に最後まで逃走劇を見せる、用心棒ディックスと犯罪のスペシャリスト ドックの姿に注目してみよう。
怒りの葡萄の世界から
ディックスはケンタッキー州ブーン群の生まれだ。家は代々牧場を営んでおり、幼少期に馬と慣れ親しんだ思い出を語る。ちなみにブーン群は高名な開拓者ダニエル・ブーンの名にちなんでいる。そこの住民は辺境をみずからの手で拓いた誇りを受け継いでいるのだろう。
しかし青年期に牧場は閉鎖され、大切に育いていた馬も手放さざるを得なかった。それ以降、彼は都会のほこりにまみれ、やくざ者として汚い仕事で日銭を稼いでいた。
この半生から思い起こすのは、スタインベックの「怒りの葡萄」だ。トム・ジョードよろしく、ディックス一家も資本家に牧場を奪われ路頭に迷ったのかもしれない。
怒りの葡萄のラスト、人を殺したトムは荒れ地に姿を消すが、想像を膨らませばディックスのように都会の流れ者になったのかもしれない。
劇中、ディックスは馬との思い出を口にする。彼にとって馬とは、無垢さや純粋性を象徴する。一本気な性格も田舎育ちで培われたものだろう。
青春を取り戻そうとあがく
一方、計画立案者のドック。犯罪界では伝説的なカリスマで、抜け目ない強奪計画を生み出すこの男は、並みの映画なら「犯罪王」とでも描かれそうだ。
しかし劇中の彼はあまりにもナイーブで、自分がすでに失った若さに憑りつかれているようなそぶりを見せる。コビーの事務所でカレンダーのピンナップに見入り、酒場で少女のダンスに心奪われる。
彼は若い頃から犯罪の世界にどっぷりと浸かり、普通の青春を味わうことができなかった。彼はカネが欲しいのではなく、自分が練った計画を成就させることで達成感を得て、そのプロセスのスリルを味わうことで若さを取り戻したかった。生涯でいったいどれほどの間、刑務所に収監されていたのだろうか。
このヤマが終わればメキシコに逃げる。それが一縷の希望だった。しかし最後の最後でそれはかなわず、彼は再び牢につながれる。
またタクシー運転手との会話から、彼はドイツの出身者であることが示唆される。本作が舞台となるのは第二次世界大戦後だが、説明するまでもなく当時のドイツは廃墟であった。ドックはディックス同様、都会を漂流する故郷喪失者だ。帰るところもなく常に転がり続けなければならない。
犯罪大国アメリカ
資金提供者の弁護士 エマリックは次のようなセリフを言う。
「犯罪者だって普通の人々となにも変わらない。犯罪とは人間の努力が裏側に現れたものにすぎない」
これは犯罪社会学における環境要因説の要素が感じられる。第二次世界大戦後のアメリカは黄金時代であった。戦勝国の誇りを抱き、経済的・文化的に繁栄を謳歌していた。多くの人が努力を重ね、社会的成功を手にした。その一方で「裏側の」努力をし犯罪界でのし上がる者もいた。
その努力のしかたを決定したのは必ずしも「生まれ」だけではないだろう。その人が住む環境が成功者を作り出すこともあれば、犯罪者を生むこともあるのだ。
劇中の警察は善悪二元論の信奉者だ(実際の警察組織の感覚がそうであるかは筆者は寡聞にして知らない)。警察幹部はドックたち一味を獣と呼び、都市というジャングルにはびこる害獣と名指しする。
しかし獣が馬に畏敬の念を払うだろうか?
犯罪者とは本質的に弱者なのだ。社会が想定する枠内にとどまることができない逸脱者である。
その後、都市の発展に伴い、アスファルトジャングルからコンクリートジャングルに変わっていくことだろう。人口が増え、犯罪も比べものにならないほど増加する。そして貧困・人種・機会格差などの社会問題で犯罪が説明されることが多くなる。善悪二元論はどこまで適用できるのだろうか。